昨日の地震、原発がいくつもある福島にも津波注意報が出ていたと知り、かえってぞうっとしてきました。

 国、電力会社(原燃)、双方とも「それは電力会社がちゃんとやっています」、

「国の審査を通っています」と言っています。

 政治家は・・・管直人氏は(原燃が放射能を流しているといっても)「0.022ミリシーベルトよりすくないんでしょ」(管氏の奥さんと親しい方から聞いた話)・・・(これでは自公と変わりない・・・因みに「みんなの党」は小泉政権よりすごい新自由主義=弱肉強食を理想!とする政策)

 きちんと異議申し立てを頻繁にしないと殺されます。

 

 東海村事故の際電力会社社員の家族だけはいちはやく遠くに逃げたと

聞いています・・・


 ::::以下は『アヒンサー』からの転載。1999年12月に東海村事故についての「現地報告会」でアヒンサーを作った方が聞いた話をまとめたものだそうです。アヒンサーは必読文献です。0422-51-7602または047-395-9727へ。500円プラス送料。50000万円の価値あり。

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 原爆も原発も、どちらも<いのち>を殺す

 広島の元市長が、事故の後に、「平和利用の原発は推進しなければならない」って発言したそうですね。東海村は、中性子爆弾を投げられたと言っていいんですよ。

 この国は半世紀前から、「ノーモア・ヒバクシャ」、これ以上被ばく者を作らないといってきたじゃないですか。でも、私たちは被ばくしたんです。

 東海村の住民にとって、原子力とは、国による無差別殺人であるということが、自分たちが被ばくして、ようやくはっきり見えてきました。

 みなさんも今までは、核兵器はだめだけど、原発はいいといっていたと思いますが、この事故で、「原発も原爆もどちらも<いのち>を殺す」と教わったはずです。そういう眼<まなこ>を持ちつづけて欲しいと思っています。

 国は住民を守らない

 戦争では国家を守ることが正義だったはずです。でも、国体護持の名目でどれほどの人々が殺されていったか、沖縄戦では、軍隊は住民を守らなかったと聞いていいます。

 今、豊かな生活のためにエネルギーが大切だといって、平和利用の原発を容認してきましたが、住民お豊かさの生贄<いけにえ>にして、被ばくを強要していたということだったんですね。、

 この事故で分かったことは原子力産業がどれほどいい加減なものだったか、そういうものを安全だと認可したのは国だったのに、その国がいかに無責任だったかです。「原子力のメッカ」といわれた村に、何にも防災がなかったんですよ。「原子力災害は起きない」って国がいっていたから。

 臨界事故が起きて、国がしたことは、事故から8時間近くもたって、やっと対策本部を設置しただけです。避難要請も法律に違反して尊重が独断で出したんですよ。

 もし、村長が判断をしなかったら、朝までみんな家にいたはずです。中性子線を浴びながら、他の村長だったら、おそらく国のいいなりになっていたと思いますよ。

 事故の翌日、国はすぐに安全宣言を出しました。避難要請を出していあないのに、安全宣言を出したんです。

 核分裂してでたヨウ素が、工場からまだ出ているのを知っていながらですよ。

 それどころか線量の値切りをやりました。放射線を浴びせなかったことにしようと、10月4日に発表した数値を、12月11日に7分の1に切り下げたんです。

 私が顔を知っている人で50ミリシーベルトを越える人がいっぱいいるんです。

それば消えてしまいました。例外的に一ミリシーベルト越える人がいるということにしたんです。余りにもひどいじゃないですか。

 日本のエネルギー政策である原子力を守るために、一体、どれほどの<いのち>が殺されなければならないのでしょうか。私たちが守らなくちゃいけないのはエネルギーなんでしょうか。